雨ふり  novita
 梅雨だから、雨ふりは仕方ない。
雨降る日曜の夕刻、まだ明るい時間に500で街中を行くと、
白い500とすれ違う。
クラクションひとつと、笑顔と、挙げた右手が、
見ず知らずの500乗りと、こころを通わせる。
お茶して、話したり笑ったり、
その友人を小雨のなか駅まで送ってゆく。
別れたあと、
彼女の艶やかな模様の傘が500をそっと見送ってくれる。
雨音は強くなり弱くなりながら、500の排気音を包みこむ。
そんな心地よい時間を過ごす贅沢を噛みしめながら、
家路をたどる。

雨の週末も良いなぁ。


しかし、暑苦しいのは如何ともし難い。
クーラーさえあれば、COOL!な話のに、
梅雨どきの蒸し暑さは500の定めだから。
                      05.07.04

 イメージ
イタリアの友人(ペンパルの)バレンティーナさんは、
青色を自分のイメージカラーにしている。
500も、ワンピースも、ハイヒールも、マニキュアも、マスカラまでも。
離れたところからでも、一目で彼女だと分かるほど。

私も、前に乗っていた500が白色だったから、
職場では今でもそれに乗っていると思われている。
一度植えつけられたイメージは、
なかなかに変わらないようだ。
もっとすごいのは、
未だに「20歳で、マツダRX−7に乗っている好青年」という人。
嬉しいやら、悲しいやら。

 逆だって
何年か前に、500で通勤したときのこと。
後輩も同じく、自慢の国産車に乗ってきていた。
仕事が終わって帰ろうかなと500に近づいたとき、
ふいに背後から声をかけられた。
件の後輩クンだ。
「バッテリーあがっちゃって、ケーブル持ってないっすか?」
と泣きついてきたのだった。
いつもは500のために車載しているケーブルが、このときは逆の役割を担った。
彼のクルマは路上駐車してあり、500をすぐ横に並べる。
こんなことは朝飯まえ≠セから手際よく準備完了。
500のエンジンを回しながら、むこうのイグニッションをひねってスターターを回す。
ぶろろん、しゃしゃしゃ・・・なかなかかからない。
ぽろぽろとちいさな音で必死に回る2気筒650ccOHV。
しばらくしてなんとかレスキュー終了。
しかし、そのあいだ歩道をゆく人、すぐ横を通過する車からの視線は
あきらかに500に対しての冷ややかなものばかりだった。
助けられているのは、あっちだっていうのに・・・。

 観光地にて
500で観光地に行くと、
その地の景色とともに観光客のカメラの被写体になることがある。
「あのぉー、クルマ撮ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
もちろんイヤだなんて言えない。
でも、いいのだろうか
観光地の地元ではないナンバーのクルマなのに。

 
 歴史
イタリアを旅したときに、街のあちこちに500を見ることが出来た。
ほとんどが路上駐車されていた。
かの地の町並みに、500は当然の如くよく似合っっていた。
石組みの壁、石畳の路面、いずれも歴史をたたえた風格をみせていた。
500とは比較にならない歴史の重み。
しかし、500はそれに負けず劣らず、存分にその存在を誇示していた。
誇示よりも融合といったほうが正確かも知れない。
自然のなかに街を敷き、自然を生かしながら城やブドウ畑を築きあげた彼らの、
自然なのりものの一つが500なのだろう。
その風景を前に自然にシャッターをきっていた。
出来上がった写真だけが不自然なものだった。

 お上にウケない
数年前の春、突然TV局から連絡が。
実家でロケをしたいということだった。
名古屋市と市教育委員会が制作する教育番組で、
家族が市内の名所を自転車で訪ね、
街と人との関わりを学ぶという内容。
そのオハナシの出発シーンに我が実家が選ばれたのだ。
ニセの家族(みんなシロウトで他人)が他人の家を出発する…
変なの。
我が家が選ばれた理由をディレクターに聞くと、
母親の育てているプランターの花が綺麗で建物が普通で
可愛いクルマがあるからという。
オンエアにはビデオを準備して一家揃って見入った。
しかし、そのシーンには少し白い影が映っただけで、
500の姿は確認できなかった。
親は家と花がたくさん写ったので喜んだが、
私だけ泣いた。
500は教育委員会にはウケなかったのだろう。
ハイグレードのテープに標準モードで録画した映像は、すぐに消してしまった。

 風が目にしみる
ある夏、仲間20人くらいでキャンプに行った。
グループで人気のある女性の周りには、いつも誰かがいた。
帰るとき、とくに配車をしなかったから、
彼女は私の500に乗ることになった。
羨望と妬みの視線が小さな500に向けられた。
途中、高速道路を利用したのだが、
風の巻き込みを考えてキャンバスを閉めたのが災いの本だった。
彼女は、暑さのあまり窓を全開に・・・
ガシャ!
窓は下限まで下がってかみ込んだ。

サービスエリアで休憩するまでの時間は、
彼女の綺麗なストレートヘアーをカーリーに変えるのに充分だった。
休憩のあと500の助手席には、シュラフが座っていた。
以降、彼女と会話する機会は2度となかった。

 
 チンクハウス
私の500を手がけたイタリア人ビルダーの、ドメニコ・レンティーニさん。
通称ミンモ(Minnmo)さん。
優しい笑顔に似合わず個性強き頑固なおじさま。
彼は、若い頃に歌手だった。
数年前に500の歌を自費製作したのだが、これが可愛い。
イントロは「ぐががが、ぷろろん」という500のセルが廻る音なのだ。
私はこのテープを自分の500の納車祝いに彼から頂戴したのだが、
歌詞がまったく分からなかった。
でも、500を愛してやまない歌だということは理解できていた。

数年前に彼が来日した際、夕食をともにする機会があった。
彼が手塩に掛けたかけて組み上げた500で参上したから、ご機嫌だった。
夕食後に滞在先のホテルへお送りした時、500の中でそのテープをかけたら、
歌いだしたのだ。
ミニライブのようなひととき。
ホテルに着いて、歌詞を教えて欲しいとお願いした。
翌日、彼はホテルの小さなメモ用紙の表裏いっぱいに、それを書いてくれた。
青いボールペンの文字はちいさく、そして可愛かった。
几帳面な彼の性格を象徴するものだった。
手製の歌詞カードは「チンクハウス」の半券でもある。

 渋滞バトル
私は、小型車は全般的に好きだ。
多少ライバル意識があるけど、
ミニだって2CV だって、生活に余裕があるなら欲しいと思っている。
ある真夏の炎天下、街中で渋滞にひっかかった時のこと。
あまり暑いので、常備していたうちわで涼をとっていた。
すると、隣のミニから笑われた。
窓を閉めてクーラー効かせて、おまけにナビシートには彼女を連れてやがる!
その瞬間、うちわをステアリングに持ち替えガッチリと握る。
バトルだ!渋滞バトル。
前に出てやるぞ、と気合をいれる。
そしたら相手もノッてきた。
窓全開で向かってくるミニが、
バックミラーごしにチラッと見えた。
そりゃそうだ、2人乗ってクーラー入れたら、こっちが有利。
結局、こっちが勝ったのだが喜びはなく、
虚しさと汗臭いTシャツだけが残っ た。

 
 主役
FIAT500というクルマ、最近ではCMやドラマの中で小道具として使われ、
認知度も昔と比べると高まっているようだ。
ひとむかし前の映画ならグランブルー。
ふたむかし前はカリオストロの城が”代表作”。
ミニミニ大作戦という人はマニアかも。
そのほかにも思い浮かぶのはいろいろ。
でもやっぱり、オーナーならば誰しも自分のストーリーに500を置いているのでは?
気づかぬうちに、それぞれの人生が”
代表作”なっている。

 思い出
ある年の春、500で岐阜の合掌作り集落へ妻と出かけたときのこと。
途中、国道沿いの公園で休んでいたら1台のクルマが止まり、
老夫婦が近づいてきた。
偶然にも「春を探しに」出かけていた同じ会社で働くおじさんだった。
「小さいクルマを見つけたから、ひょっとしたら」と。
そこから少しだけ2台で走り、フキノトウやコゴミなど山菜を探して
一緒に散策したりしました。
そのとき撮った写真は、ご夫婦が一緒に収まった最後の写真になりました。
おじさんの趣味は山歩きと写真を撮ること。
だから被写体は、いつも奥さんひとりだけ。
でもその本当の理由は、その夏に奥さんが病気で亡くなったこと。
500がなければ偶然の出会いもなく、そんな写真も撮れなかったことだろう。
運命というほどではないけれど、
いつもダダをこねて故障の絶えない500に、心から感謝をした出来事だ。

 打ち上げ花火
チンクって結構人気あるのに、オーナーの僕はそこそこの人気だった。
だから、一人で「遊ぶ」のが多かった。
ある夏の夜、納涼気分で川沿いを、
窓全開のチンクで流していたら海まで行ってしまった。
海というか港に出てしまい、
埠頭の先端まで行ってカップルだらけのクルマの列にチンクを停めた。
見ると港の彼方に打ち上げ花火が・・・。
しばし花火見物を、
シケモク(健康を損なうので煙草はやめましょ。未成年は絶対ダメよ)とともに楽しんだ。頬をくすぐる海風が心地よく、
つい良い気分になってうたた寝を。
と、気が付くと辺りは○○タイムに。
かっこ悪くって、悲しくて。
ひとり寂しく、ポロポロというエギゾーストを響かせて
帰路を急ぐのであった。